komugi_haru_M’s blog

三浦春馬君への気持ちをただ書かせていただいています🌟

春馬くんの言葉☘️ 記事まとめ5️⃣

 

♢「14歳の母」から「せかほし」まで本人の言葉


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 三浦さんは7歳のとき、NHK連続テレビ小説あぐり」でデビュー。17歳で出演した映画「恋空」で日本アカデミー賞新人俳優賞に輝き、その後も話題のドラマや映画に出演。映像作品のみならず、舞台での評価も高く、ミュージカル「キンキーブーツ」では審査員の満場一致で杉村春子賞(2017年)を受賞した。

若手実力派俳優として成長し、亡くなるまで仕事が途切れることはなかった三浦さん。数えきれないほどのテレビ、新聞、雑誌などのインタビューを受けてきた。その中から三浦さんの人となりを表すような印象的な言葉を抜粋して紹介していく。

 

14歳の母

 中学生の妊娠を題材にした2006年放送の連続ドラマ。三浦さんは、志田未来さん演じるヒロインの相手役だった。多感な年ごろに、難しいテーマをしっかり受け止めていた様子。

 

三浦 「中学生の妊娠っていうのは問題が大きいから、僕もいろいろ考えてみているんですけど、正解もないし、間違いもないんですよね。だからドラマの結末はあくまで答えのひとつなんです。これからどうなるのか、智志(三浦さんの役)と未希ちゃん(ヒロイン)がハッピーエンドで終わるのかどうか、最後まで温かく見守ってください!」(週刊女性 2006年12月12日号/16歳)

 

【恋空】

 2007年11月公開の映画。ケータイ小説を原作としたラブストーリーで、三浦さんはこの映画で日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞した。

 

三浦 「『恋空』の台本を読んだときは素直に泣けてしまいましたね。(中略)撮影中は、もちろん楽しいっことばかりじゃなくて、重いシーンが多いだけに、感情移入が大変でしたね。(中略)『カット』の声でメリハリがつけられるようになったのは、しばらく経ってから」(JJ 2008年3月号/17歳)

 

  同じ年に映画「奈緒子」も撮影。2本の映画をやりきったことは自信につながったという。

 

三浦 「昨年『恋空』と『奈緒子』という2本の映画を撮ったことで、本番前の役の気持ちの作り方や集中の仕方、そしてひとつの作品を作り上げる喜びを、これまで以上に深く見出せるようになったという手応えは感じています。これまでより演技に自信を持てるようになったかな」(an・an 2008年2月13日号/18歳)

 

君に届け
 

   少女コミックを原作にした青春映画で、2010年9月に公開。地味で暗い女の子が、誰からも好かれる風早翔太(三浦さん)と出会うことで周囲との関係が変わっていくストーリー。

 

三浦 「お話をいただくまで(原作コミックは)読んだことはなかったし、抵抗はありました。でも読んでみたら……案外好きだなって(笑)」(ピクトアップ 2010年10月号/20歳)

 

 三浦さんの役は少女漫画のいわゆる「王子様」的な存在として描かれている。リアリティに欠ける役柄に息を吹き込むのも役者の仕事。

 

三浦 「何かを参考にするとかじゃなくて、もう原作しかなかったです。(中略)現場には原作を5巻くらい持って行って、原作と台本を見比べながら演っていました」(同)

 

自分とは遠い役を演じながら、俳優という仕事の役割を考える機会になったようだ。

 

三浦 「<元気>を届けられればいいな、と。『この人を観ていると元気になれるよね』って感じてもらえれば、こんなに嬉しいことはないとはないと思っています」(同)

 

【東京公園】

  2011年6月公開の映画。三浦さんはカメラマン志望の青年・光司を演じた。自然あふれる公園の中で、三浦さんは主人公の心の揺れを繊細な演技で表現している。

 

三浦 「好きなことをやっているけど先のことはわからない。同世代でもある彼の不安定さにも共感できました。僕自身の友達も今ちょうど就職活動する時期で、そういう子の話を聞くと“わかるなあ、みんな不安なんだろうな”と思ったりするし。だから光司役に自分から遠いと思わせるものはほとんどなかったんです」(CREA  2011年7月号/21歳)

 

永遠の0
 

   2013年12月公開の映画。三浦さんは、戦時中に特攻で亡くなった祖父の生涯をたどる孫の役。この役を演じるにあたり、三浦さんは自分の祖父について知りたくなり、母親に話を聞くと、祖父は戦時中に航空兵を志願していたという事実が明らかになったという。三浦さんにとって忘れられない作品となった。

 

三浦  「祖父はたまたま目が悪かったために航空兵の試験に通らなかったそうですが、もし視力がよかったら特攻で命を落とし、僕も誕生しなかったかもしれない。この本(原作)との出会いが、改めて祖父や自分の命について考えるきっかけを作ってくれました」(CREA 2013年5月号/23歳)

 

【僕のいた時間】

  2014年1月から放送されたドラマ。三浦さん演じるごく普通の大学生・拓人が筋萎縮性側索硬化症(ALSの)発症によって、自分の人生を見つめなおすヒューマンストーリー。三浦さんは、テレビのドキュメンタリー番組で難病と闘う家族の姿に感銘を受け、それを口にしたことがきっかけで、このドラマが実現した。

 

三浦 「自分が演じてこなかった感情を表現してみたい。その先にある何かに触れてみたい。心から思ったんです」(朝日新聞 2014年2月22日朝刊/23歳)

 

豊かな感性と、想像力で難しい役を演じきった。

 

三浦 「拓人を演じていくなかで、まだ僕も出会ったことのない感情や考えに出会うかもしれません。ALSの発症によって、人の温もりやささやかな音の優しさを感じることのできる心が育つ…ただの雑音と思っていた物事や人の声。そのすべてに意味があり、大切だとわかるようになる。それは健康で、何不自由なく過ごしていると、見過ごしがちなのではないでしょうか。そこを表現していけたら、と思っています」(25ans  2014年3月号/23歳)

 

【地獄のオルフェウス

 テネシー・ウィリアムズの戯曲を、大竹しのぶさんらと共演した。三浦さんが演じるのは、愛のない生活を送る女の前に現れたひとりの青年で、自由を象徴する役柄。舞台は2015年5月に東京で、6月に大阪で上演された。

 

三浦 「理想を持っているヴァル(三浦さん演じる青年)の生き方はすごく魅力的だけれど、一歩ひいてみるととても寂しいなと思ったりもして……。彼の語ることが今はすごくよくわかる気がするんです。ただ自由に生きたかっただけなのに、彼の意志に反して、やはりどこに行っても自由はなくて、その理想さえもむしられていく。本当の自由って何だろう。観ていただいた方に一瞬でもそんなことを感じていただけたら嬉しいです」(ダ・ヴィンチ 2015年5月号/25歳)

 

  後に三浦さんは、役者人生の転機となった作品のひとつだと明かしている。この舞台を通して、役者人生の可能性を自分自身で信じることができるようになったという。

 

【キンキーブーツ】

 23歳でブロードウェイの公演を観たときから「やりたい」と思い続けていたミュージカル作品。念願かなって、2016年7月に日本人キャスト版で主人公のドラァグクイーン・ローラを演じた。読売演劇大賞杉村春子賞を受賞し、舞台人としての実力が認められた作品だ。2019年4月に再演もしている。

 歌とダンスのすばらしさに目を奪われるが、それだけはない。とことん考え抜いて、キャラクターづくりをしていたそうだ。

 

三浦 「きれいでファニーで強いローラにしたいし、お客さまの脳裏に、三浦春馬ではなくローラとしての印象が自然に残るようにしたい。そのために、彼のバッグボーンや内面に抱えたものを大切に役作りをしてきたいです」(PHPスペシャル 2016年8月号/26歳)

 

努力の先につかんだ手応えと舞台に立つ醍醐味も味わった。

 

三浦 「いざ幕が開いて、“生”ならではの取り返しのつかない緊張感の中で何日も公演を続けていると、ある時突然それまでまったく見えなかったものに気づけたりする。たとえば、それは極限まで集中している相手からのパッションを受け取ったことで溢れ出る感情だったり……。そんな感覚が味わる舞台は、僕にとって、これからも1年に1回は立ち続けたいと思える場所です」(MORE 2016年8月号/26歳)

 

【こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話】

 24時間体制の介助が必要な筋ジストロフィーの男性と周囲のボランディアの生活を描いたノンフィフィクションが原作の映画。大泉洋さんが主人公をコミカルに演じ、振り回される要領の悪いボランティアの医学生を三浦さんが演じている。2018年12月公開。障がいと介助という難しくとらえがちな題材だが、三浦さんの演技が見る者をひきつけている。

 

三浦 「理想の自分と現実の自分との間にある混沌としたものをどう表現したらいいのか。そう考えた時、かつての自分のこと、あの頃の感情とか状況とかを思い返して、引っ張り上げるという作業をすごく丁寧にしたと思います。自分はなんて駄目なんだろうって悔しい思いをした経験はきっと皆さんにもありますよね。だから今回の役柄に共感してくれる人はとても多いと思うんです」(週刊文春 2018年12月13日号/28歳)

 

 三浦さんは、この作品に携わったことで得られたことがあるという。

 

三浦 「鹿野さん(原作の中心人物の鹿野靖明さん)は、なんでもストレートに発言されていた。ボランティアと介助される側は、常にお互いの息遣いまで感じる距離感で接しなくてはいけないから、遠慮や壁があると、介助を受けるほうも逼迫してしまうんでしょうね」(CREA 2019年1月号/28歳)

「この作品を通して、人との壁を越える勇気や、その大切さを自然と教わった気がします」(同)

 

【TWO WEEKS】

 2019年7月から放送したサスペンスドラマ。殺人の濡れ衣を着せられた主人公(三浦さん)が、白血病を患った娘のドナーになるために、2週間逃げ続ける。三浦さんは初の父親役に挑んだ。

 

三浦 「この物語は、ただの逃亡劇ではなく、人は2週間でどれだけ成長できるのかということがテーマです。(中略)回を重ねるごとに、結城(三浦さん演じる主人公)の人間らしさや感情、思考がクリアになってきたので、僕自身も同じ気持ちを感じながら走っています」(ESSE 2019年10月号/29歳)

 

  主題歌「Fight for your heart」も三浦さんが歌い、評判となった。三浦さんには、近年リアルタイムでドラマを見る若者が減ったため、ドラマを見る人が増えればという思いがあったという。

 

三浦 「(主題歌は)ドラマのストーリーと結城の心情に沿ったアップテンポで熱く、高揚感を感じる曲。演じる自分の身に浸透していく感覚が印象的でした。曲がきっかけとなり、ドラマを観てくださる方がいたらうれしいです」(同)

 

【世界はほしいモノであふれてる~旅するバイヤー 極上リスト】

 最後に、映画やドラマ、舞台ではないが、これも三浦さんのひとつの作品といえるテレビ番組を紹介したい。2018年4月から放送が始まった、歌手のJUJUさんとMCを務めたNHKの番組、通称「せかほし」だ。世界中でさまざまな名品を買い付けるバイヤーをゲストに招き、モノにまつわるストーリーを買い付けの旅とともに紹介。スタジオでのやりとりに、三浦さんの人柄が表れていた。

 

三浦 「毎回、尊敬です。バイヤーさんたちの、あの知識量と熱量、プロとしての責任感!」(ステラ 2018年4月20日/28歳)

 

  テレビのMCは初めてだったという三浦さん。最初は戸惑いもあったようだが、番組が2年目に突入すると、思い入れが深くなってきたのが伝わってくる。

 

三浦 「僕たちMCを含め、この番組に関わるスタッフ全員が『このすてきなモノを、お茶の間の皆さんに伝えるんだ!』というアツい気持ちでつながっている。そこにウソはないし、苦労も惜しまない。その温度感が僕にはとても心地よくて。今では<せかほし>は、すっかり僕にとっての“ホームグラウンド”です」(ステラ 2019年4月19日号/29歳)

「“モノ”の先には、必ず人がいます。そして、人の生活、営みがある。(中略)モノとは、さまざまな出会いへの入り口だと思うんです」(同)

 

  俳優の仕事にもいい影響があり、「できれば3、4年と長く続けていきたい」と希望を口にしていた。

 

三浦 「『この番組が好き』といってくれる人がけっこう、この業界に多くて。(中略)『この間の回、よかったね』と声をかけていただくと、うれしいですし、身が引き締まります。ひとつのものを長く続けていくモチベーションって、こういうところから生まれてくるんだ、という新鮮な発見でもありました」(同)

「これほどまでに愛されている番組のMCとして、ふさわしい俳優でいなければ、と思うからです」(同)

 

  インタビューは「また、木曜日の夜に会いましょう」という三浦さんの言葉で締めくくられていた。

どんな仕事にも、プロとしての誇りを持ち、誠実に丁寧に取り組んでいた三浦さん。だからこそ、紡げた言葉の数々だろう。その思いはこれからも作品の中で生き続けると思いたい。(AERAdot.編集部)


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あの日から ずっと 空を見上げてる

 

あなたの幸せ  今日もこの先も ずっと願っているから

 

どうか 安らかに 暖かな場所で あなたの笑顔が

溢れていることを ずっと願っているから

 


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春馬くん、

たまに 皆の夢の中に現れてくれたら嬉しいです。

皆、春馬くんのことが 大好きだから。

 


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春馬くんの言葉☘️ 記事まとめ4️⃣

 

 

♢結婚と恋愛をめぐる「本人の言葉」

 


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「結婚って、生涯この人ひとりを大切にする、そういう運命にゴロゴロピカーンってイナズマみたいに打たれてするものでしょ?」

  遺作となったドラマ「カネ恋」の3話目の三浦さんのセリフ。松岡茉優さん演じる同僚に「愛と結婚」について語るシーンだった。

 三浦さんはその端正なルックスからプライベートにも関心が集まり、たびたび熱愛が報じられてきた。出演作品の共演者と噂になることもあった。

 しかし、インタビューでの発言には浮ついたところはなく、結婚については特別な思いを抱いていたようだ。10代のころから結婚願望はあると言いつつも、30歳を目前にして複数の媒体で「結婚は(まだ)しない」と口にしていた。その発言の意味するところは何か。恋愛観と結婚観から、三浦春馬という一人の人間の迫ってみたい。

 子役からキャリアを積み上げてきた三浦さんは、10代半ばからインタビューを受けてきた。女性ファンも多いことから、恋愛について質問されることも多かった。

忙しい中でも恋愛はしてきたという。

 

三浦 「僕にとって、恋愛は“生きる上で必要不可欠なもの”。恋をすると毎日が楽しくなりますよね。(中略)もちろんツラいことも出てくるだろうけど、それ以上に幸せなことの方が多いんじゃないかな。たとえ片思いでも、いつも恋はしていたいですね」(non・no 2008年2月5日号/17歳)

 

  告白は自分からするタイプ。それは自信があるからではなく、たとえフラれるとわかっていても気持ちを伝えたいのだという。その理由について、以下のように語っている。

 

三浦 「自分から告白した恋のほうが、長く濃いものになる気がするんです。最後は僕がフラれることになるかもしれないけど……いい恋をしたいから」(同)

「誰かを思ったら、ちゃんと言葉で伝えたい。それで“ノー”と言われたこともあるけど、思ったことはきちんと言ったほうがいいですよ。(中略)いい恋をしていても、行動を起こさなきゃその思いは無いものになっちゃう。それってすごくもったいないですよね」(ポポロ 2008年9月号/18歳)

 

  駆け引きを楽しむのではなく、自分の気持ちに正直に従うまっすぐなタイプだったようだ。インタビューでも自分の言葉で伝えることを大切にしていた三浦さん。恋愛においても、それが相手に誠意を示すことだったのだろう。

 

三浦  「思ったことや気持ちは、愛情表現として言葉にしたいですね。もし彼女によくないとこがあれば、それも伝えるだろうし」(With 2009年11月号/19歳)

 

  好きなタイプは昔から一貫してロングの黒髪の女性。いわゆる清楚な「女性らしさ」を求めてようだ。

 

三浦 「女性らしい品のある人が好きです。仕草とか、言葉遣いとか」(TOKYO1週間 2009年11月17日号/19歳)

「優しいのはもちろんなんですけど、ロマンチックな人がいい。例えば、花を見て、きれいだねって感動を共有したいです。仕事で忙しい中でも相手に会えばまた頑張れる。そんな恋愛ができればな、と思います」(週刊文春 2010年3月18日号/19歳)

 

 とはいえ、「恋愛に対しては、まだ憧れの部分が強い」(With 2009年11月号/19歳)と自身がいうとおり、10代ではまだまだ理想を追い求めていたのかもしれない。結婚については、遠い未来と思っていたようだ。

 

三浦 「この人だっていう女性に出会ったら、誰に反対されようが結婚しちゃいたいと思うけど、きっとずっと先のことですね」(ポポロ 2008年9月号/18歳)

 

  それが、高校を卒業し、俳優業に専念するようになって20歳を過ぎると、人間関係の築き方が変わってきたのだろうか。恋愛ではないが、大人になりつつある自分を自覚したこんな発言がある。

 

三浦 「20歳を過ぎて、母親が以前なら話さなかったような話をしてくれたりして大人扱いされるようになりました」(CREA 2011年7月号/21歳)

 

  恋愛についても、理想を語るだけでなく、現実とのはざまで悩んでいるような節も。例えはこんな発言。

 

三浦 「最近、自分の恋愛パターンが分かってきたなって思うんです。こういうことで嫉妬するんだとか、こういうことされるとダメなんだとか。(中略)今は相手のことをもっと思いやれるようになりたい。まだまだ恋愛については、勉強中です」(an an 2010年9月29日号/20歳)

 

  また、少女コミックが原作の青春映画「君に届け」に関するインタビューでは、作品の魅力について次のように話した。「僕もこうできたらいいのに」といった自身の気持ちが投影されているようだった。

 

三浦 「相手を思いやるがゆえに、うまくいかなかったり、すれ違ったりする場面もあるけど、それってすごくステキなこと。それに、風早(三浦春馬が演じた役)は大好きな爽子(映画の主人公)が悩んでいるとき、いつも“響く”言葉を伝えてあげられる。そこがすごくうらやましいなって思いますね(笑)」(With 2010年10月号/20歳)

 

さらに、戸田恵梨香さんとW主演を務めたドラマ「大切なことはすべて君が教えてくれた」のインタビューでも、恋に悩む様子がうかがえる。

 

三浦 「分かりやすい性格だし、嘘とか上手につけないし、とにかく不器用だから……二股とか絶対に無理、無理!」(non・no  2011年4月号/20歳)

 

  同年代よりも早く、社会に出た三浦さん。10代のころは年上の女性を好きになること多かったという。年下と年上のどちらを選ぶかたずねられ、「年上」と答えていた。


三浦 「年上かなあ。年上を好きなったことが多いからなんだけど。ぶっちゃけ甘えたいときは甘えたいし、年上の方がラクなんじゃないかなっていう」(セブンティーン 2013年6月号/23歳)

 

  ただ、別のインタビューではそういう恋愛観に変化があったとも語っていた。同じく23歳のときだ。

 

三浦 「10代のころは年上の人のほうがラクな感じに思えたんです。好きになる人も年上が多かったし。でも最近は、そういう概念とかもなくなって、べつに年下であっても波長が合ったら、“あ、この子いいな!”と思うし、年齢はぜんぜん関係なくなりましたね」(JUNON 2013年6月号/23歳)

 

  年齢とともに相手に求めるものもより具体的に、現実的なものになっていた。

 

三浦 「箱根とかそっちのほうの温泉に行ってみたいですね。おいしいご飯を食べて温泉に入って、ゆっくりしたい。あとは普通に夜、公園で散歩しながら話してっていうぐらいのデートでも十分、僕は満足ですけどね」(JUNON 2013年8月号/23歳)

「恋愛するなら、のほほ~んとしている関係のほうが好きですね。一緒にいてくつろげるほうがいいです」(同)

「(好きなタイプは)話が面白い人。会話してて『いいなぁ』って思うから。あとは当然、黒髪ロングでしょ(笑)」(同)

 

  このころになると、結婚についても具体的イメージを膨らませていた。

 

三浦 「結婚願望はありますよ。できれば30歳くらいまでには結婚したいです」(同)

「(結婚したら)すごく家庭を大事にしたいと思います。家族でできるようなことをたくさん探したいですね。一緒にキャンプしたりスキーに行ったり、あとは家でクッキーとかおやつを作ってあげられたら最高ですね。未来の奥さんが留守のときにパパっと作っておいて、お腹がすいたときに『クッキー作ってあるよ』って」(同)

「結婚?はわからないけど、もし結婚したら子供が欲しい。子供とたくさん遊びたいな」(LEE 2013年12月号/23歳)

 

  一方、自分自身には、理想ともいえるちょっと高いハードルを課していた。

 

三浦 「(恋人には)あんまり弱い部分は見せたくないですね。たとえばホントに滅入ってるときとか、落ちている自分は見せたくない」(JUNON 2013年6月号/23歳)

「僕が頑張っている姿を見て『私も頑張ろう』と思ってもらえるような、刺激しあえる関係が理想的だな、と思います。だから、弱い部分を見せたくないって言ったのも、そこは偽っても頑張りたいと思うんです」(同)

 

  この年は、レギュラー出演したドラマ「ラスト・シンデレラ」の放映があり、声優に挑戦した映画「キャプテンハーロック」と、戦争というテーマに取り組んだ映画「永遠のゼロ」が公開された。こうした発言は、多忙の中ではりつめた緊張感の表れだったのかもしれない。

  この発言以外でも、仕事と恋愛が精神面でリンクしていたことがうかがえる。例えば「セクシー」とは何かという質問に対する答え。恋愛観というよりは、人生観や仕事観が反映されているようだった。

「男のセクシーさは生き様に表れるもの)」(non・no 2014年3月号/23歳)

    こうして迎えた20代後半。多忙を極めつつも、三浦さん自身が仕事に手ごたえを感じ始めた時期だ。日々努力と研究を重ねた結果、ミュージカル「キンキ―ブーツ」のドラァグクイーンなど役の幅が格段に広がっていった。当然、インタビューでは作品や役作りなどについての質問が多くなり、本人の答えも恋愛や結婚についての発言は減ってくる。あったとしても、恋愛を語るというよりは、人間関係という深いテーマにつなげて答えるようになっていた。

   例えば、20代前半までは運命的な出会いを信じているところがあった。23歳のときには次のように話している。

 

三浦 「もし、運命的な女性に出会ったら、僕は迷わず行くんじゃないかな」(JUNON 2013年8月/23歳)

 

  また、25歳のときには、ドラマ「わたしを離さないで」の内容に絡めて以下のように話した。

 

三浦 「“これが運命だったのか!”っていう出会いは、まだないですね。期待はしたいですが。そんな出来事があったら、きっと最高ですよね」

 

 それが、29歳のときには、映画「アイネクライネナハトムジーク」に関するインタビューで次のように答えていた。

 

三浦 「劇的な出会いを求める気持ちは誰にでもあると思うんです。もちろん僕も例外じゃない。(中略)最近は“劇的”でない、日々の出会いの大切さを身に染みて感じています。(映画の)今泉(力哉)監督との出会いもそうです。ただ、僕は情熱があっても相手に自分の思いを説明して伝えるのが苦手。せっかく出会った相手でも、時間をかけないと気持ちを伝えられないこともあります。でも焦らずに時間をかけて話を聞いたり、この人はたぶんこういうことを言いたいんだろうなということを想像するようにしています」(婦人公論 2019年10月8日号/29歳)

 

 結婚については「30歳までにはしたい」と言っていたのが、「今は考えていない」と明言するようになったものこのころだ。ただ、それは仕事が充実していたことの表れであり、役者としての自分に自信がつき、もっと上を目指したいという気持ちから出た言葉だったのかもしれない。

 

三浦 「もやもやした気持ちのまま仕事をしていた20代前半までに比べたら、だいぶ成長したと思います。(中略)苦手なことや弱点も自覚できるようになったので、それを克服する努力もできる。その一つ一つが仕事やプライベートの安定につながるから、これが大人になるっていうことなのかなと思いますね」(家の光 2019年2月号/28歳)

 

 同じころ、好きな女性のタイプについては、いたずらっぽい笑顔を見せて、こんなことを言ったという。

 

三浦 「子供の頃は黒木瞳さんに憧れていて、黒髪ロングの女性と結婚したいと思っていたんです。でも最近は変わりました。生き物で例えるなら、今の僕の好きなタイプは『エゾサンショウウオみたいな人』ですかね。あのつぶらな瞳がたまりません」(からだにいいこと 2019年10月号/29歳)

 

  一方で、結婚願望がなくなったわけではないようだ。むしろ、家族というものに対して特別な思いを抱いていたようなところがあった。

 29歳で初の父親役を演じたドラマ「TWO WEEKS」では、共演する子役をかわいがり、ツーショットをスマホの待ち受けにするほどだった。

 

三浦 「すごく癒される。この子のために、3カ月頑張れるなという思いが生まれています」(朝日新聞 2019年7月18日夕刊/29歳)

「撮影前は、そこまで首ったけになることはないだろうと思っていたんですけど。初めての感情との出会いに戸惑いもありますが、楽しみながら日々全力でやらせてもらいます」(同)

 

  自分と親子を演じた子役のことを「特別な存在」と言っていた三浦さん。その発言の背景に、いつか家族をもちたいという気持ちがあったとしても不思議ではない。

 また、直接的ではないが、頭の片隅にそうした気持ちがあったと推測できるような表現もあった。最近影響をうけた本についての質問ではこのように答えていた。

 

三浦 「論語のなかに『直接政治に携わらなくても、家族や身近な人たちと良好な関係を築くことも、国をよくしていくこつながる』といった意味のことが書かれていて、それを僕は、どんな仕事も大きく考えれば国をよりよくしていくことだととらえて、いつも年頭に置いています」(NIKKEI WOMAN 2020年3月号/29歳)

 

  30歳直前の言葉だ。三浦さんにとってはいい仕事をした先に、結婚や家族を持つことがあったのかもしれない。

 すべてに誠実に生きた三浦さん。これからいろんな可能性が広がっていたはずの人生が途切れてしまったのが残念でならない。(AERAdot.編集部)


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春馬くんの言葉☘️ 記事まとめ3️⃣

 

♢大切にしたい「本人の言葉」~30歳の節目~


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 三浦春馬さんの最後の主演映画「天外者(てんがらもん)」が12月に公開される。三浦さんが演じた役は、幕末から明治に生きた実業家五代友厚。共演者の蓮佛美沙子さんは次のようなコメントを映画の公式サイトに寄せた。

 

「作品の中にいる春馬くんは五代友厚そのもので、何より瞳を覗き込めば、そこに五代の全てが在りました。彼が五代として生きたその時間を、作品を、愛してもらえたらと心から願っています」

 

 五代という役柄と三浦さん自身が重なる部分があったのかもしれない。天外者とは、凄まじい才能の持ち主という意味。志と熱意で激動の時代を生きた人物として描かれているという。

 三浦さんも才能やルックスに恵まれただけでなく、努力の人でもある。特に20代半ばからは、演じる役の幅を広げ、殻を破ろうとしていたようにみえた。何を見据えて、どのように努力を重ねていたのか、三浦さんの発言から振り返りたい。

 子役出身の三浦さんは、10代半ばまでは演じることがただ楽しかったのだという。その心境に変化が現れ始めたのは20歳ごろ。連続ドラマ「陽はまた昇る」に出演し、映画「東京公園」が公開された21歳のときには、過去を冷静に振り返り、自分の中の変化の兆しについて言及していた。

 

三浦 「以前は感覚でやっちゃったり。あんまり考えずに、監督が言うことを消化してパッとやっちゃえばいいやみたいな時期もあったんです。でも、作品の扱うテーマがむずかしくなった分、役と向き合う時間が増えました」(サンキュ! 2011年8月号/21歳)

「ここ、一、二年くらい自分の中で役のビジョンをはっきりさせることを意識するようになってきました。監督から“ここはどう思う?”って聞かれる機会が増えたからからなのかもしれません。聞かれたらそれに答えたいじゃないですか」(non・no  2011年8月号/21歳

 

 周囲の期待に、素直に応えたい。そんなまっすぐな気持ちが役者としての成長のきっかけだったようだ。

 役に真摯に向き合うほど、オファーは絶えず、多忙を極めた。2013年は、連続ドラマ「ラスト・シンデレラ」で主演の篠原涼子さんの相手役を務め、映画「キャプテンハーロック」では声優に初挑戦、映画「永遠の0」も公開された。

 

三浦 「成長したい気持ちが高まっているんでしょうね。過去に歯がゆい思いをしたから、あんな深い演技ができるんだ……って想像を膨らませながら先輩たちの貴重な経験談や苦労話を聞く時間がいちばん楽しいんです」(MORE  2013年10月号/23歳)


 三浦さんほど容姿に恵まれていると、若いときにはどうしても「イケメン」「さわやか」な役が回ってきがちだ。華があるのは強みといえるが、それに甘んじていたら役者としての進路を狭めてしまう。それを三浦さんは早い段階で気が付いていたことがわかる。

 

三浦 「今まで“さわやか”な役をたくさんいただいて、それはすごくうれしいです(笑)。でも、それだけの人にはなりたくないし、これからもっといろんな顔を見せていきたい。悪役もやってみたいし、暗ーい役とか、どはまりしそう(笑)」(LEE  2013年12月号/23歳)

 

 20代前半は、変化を求める一方で、成長のために具体的に何をどうやったらいいのか、やるべきことがいま一つ見えないもどかしさもうかがえる。

 

三浦 「でも、何をどうっていうのは、僕を含め、まだ見つけられていない人も多いはず。だからこそ、いろいろなことに出会って、変っていくことが必要なんじゃないか。自分の芝居にしても、“これでいい”って満足したら、あとは他をけなすばかりになってしまう。それってすごく悲しいこと。出会ったことにしっかり向き合って、自分を変えていければ成長できるし、自分のやるべきことも見えてくると思うんです」(With  2014年1月号/23歳)

 

 しかし偶然にも23歳の夏、運命の「出会い」を果たしていた。ニューヨークでブロードウェーミュージカル『キンキーブーツ』を観賞。主人公のドラァグクイーンのローラに魅せられ、「いつか絶対にローラを演じてみたい」と強く思ったという。

 その3年後に実際、三浦さんは日本人キャスト版でその役を射止めている。公演前のインタビューでは、23歳の自分の気持ちをふりかえっていた。

 

三浦 「素晴らしい楽曲はもちろん、特に惹かれたのは(中略)ローラでした。たぶんその背景には、俳優として幅を広げるために、ちょっと特殊な役どころを演じてみたいという僕自身の気持ちがあったんだと思います」(PHPスペシャル 2016年8月号/26歳)

「俳優として幅を広げるために、今まで演じたことのない役にもトライしてきたい。そんなふうに考えていた2013年の夏、ニューヨークのブロードウェイで『キンキーブーツ』に出会ったんです。(中略)ローラというキャラクターの圧倒的な存在感に心を射抜かれてしまって。(中略)もしいつかこのミュージカルの日本版が上演されることがあれば、絶対にローラをやりたい、誤解を恐れずに言えば、やらなきゃいけないと思いました」(MORE 2016年8月号/26歳)

 

  ローラは、さわやかなイケメンというそれまでの三浦さんのイメージを覆す役柄。ところが、それが当たり役となった。初演は2016年。舞台上では15センチのヒールのブーツをはきこなし、ボディラインを強調したきらびやかな衣装に身を包んだ。そして、衣装に負けないくらい豊かな表情をみせて、7キロ増量して鍛えた野太い声を操り、ときに力強く、ときに繊細に歌い踊った。

  三浦春馬版ローラは観客の心をとらえたのはもちろん、読売演劇大賞杉村春子賞と優秀男優賞を受賞。役者人生の転機となった。2019年の再演時に、初演時の心境を次のように語っている。


三浦 「とても幸せで、特別な毎日でした。物語や音楽が持っている力が、観に来られたかたや演者の気持ちを高めてくれるんです。毎回がチャレンジで、辛いと思ったことはありませんでした」(家庭画報 2019年2月号/28歳)

「ローラという役の魅力は、自分を貫く強さの裏に、脆くて繊細な部分があるところ。そのセンシティブな心の機微を、感情を歌に合わせなければいけないミュージカルで見せていく難しさを、初演ではまざまざと実感しました」(同)

 

  もう一つ、転機となった舞台がある。時系列が前後するが、キンキーブーツの初演の前年2015年に上演された「地獄のオルフェウス」だ。映像のみならず舞台でも定評のある女優・大竹しのぶさんと共演し、初めて外国人演出家と作り上げた作品だ。

 

三浦 「表現を面白くするためには、熱量やセンスだけじゃなくて技術も大切なんだなって思うようになりました。(中略)がむしゃらなだけでいい時期は終わったなって思うようになりました」(ダ・ヴィンチ 2015年5月/25歳)

「もっと自分はできそうだと、勇気をくれた作品(『地獄のオルフェウス』のこと)ではあります。もっと貪欲に芝居を突き詰めればより多くの心人を動かせるんだと坂の上で感じましたし。(中略)やっぱりいいものに触れると成長が早い気がする」(週刊女性 2018年11月13日号/28歳)

 

 このときに何かを掴めたのだろう。「キンキーブーツ」の初演前には、自信を持って、進むべき道が見えてきたと話している。

 

三浦 「昔はエネルギーに任せて、もっと漠然といろいろなことをやっていた感がありました。(中略)目標に対して自分がやるできことがはっきり見えるようになってきました。(中略)目的や課題がはっきりしている今の方が効率よく学べていると思うし、そこに向ける熱量も増している気がします」(PHPスペシャル 2016年8月号/26歳)

 

  三浦さんはローラを演じるために、ニューヨークでヴォーカルレッスンを受け、日本に帰ってきてからも夜な夜な自宅で練習を続けたという。こうしてひとつひとつ積み上げていく努力の仕方を覚え、それによって演技力が培われていった。海外の作品にも出てみたいと語り、英語の習得にも熱が入るようになる。

 

三浦 「いろいろなスキルを身につけて自分の幅や可能性を広げていかないと、俳優としての需要もなくなっていくだろうなという思いはあります。(中略)大好きなこの仕事を続けていくためにも、今後も新しいことにどんどん挑戦するつもりです」(同)


 需要がなくなるどころか、2016年は、「キンキーブーツ」の前にはドラマ「私を離さないで」に出演し、後の2017年には大河ドラマおんな城主 直虎」に出演と仕事の忙しさは増していった。そんな中、2017年にイギリスに短期間留学。自分を見つめなおす貴重な時間だったようだ。後に次のように振り返っていた。

 

三浦 「ゆったりとした時間を過ごすことで、自然と視野が広がって、新しい発見もできました。休息の時間も有意義なものなんですね」(婦人公論 2019年10月8日号/29歳)

 

  若手実力派として周囲からも認められ、自身も手応えをつかんだ20代後半。このころから、30歳以降を意識した発言が増え始める。次のステップを見据えていたように思える。

 

三浦 「僕、あと2年で30歳になるんです。ここは分岐点ですね、かなりの。たとえるなら、いまひとまず、とある小さな村に着いて、ここからの長旅に備えてピッケルとかいろいろな道具を一生懸命集めている、そんな状態で。怠るとひどい目に遭うぞ! という心づもりで挑まないといけないな、と最近つくづく思いますね」(女性自身 2018年10月9日号/28歳)

「最近は発声も変わってきたし、知識欲も出てきて語学の勉強を少しずつ続けています。その積み重ねが将来、胸を張って表現できる役者へのステップになる。(中略)いつか振り返ったとき『よくがんばったな』と思えるぐらいまでやりきりたいですね。」(家の光 2019年2月号/28歳)

 

  さらにこのころの大きな変化としては、仕事において自分自身の努力も大切だが、「助け合い」も必要だという趣旨の発言が増えたこと。例えば、MCを務めるNHKの番組「世界はほしいモノにあふれてる」についてのインタビュー。心がけていることとして、ゲストへ毎回こんな声かけをしていたという。

 

三浦 「ゲストであるバイヤーさんに『この番組は“収録”だから、もし失敗しても言い直しができるので、緊張しなくても大丈夫ですよ』と声をかけています。これは、毎回、必ず、僕からお伝えします。(中略)経験上、共演者からそうしたひと言があるのとないのとでは、全然気持ちが違うんですよ。だから、この番組では、MCである自分の役割だと思っています」(ステラ 2019年4月12日号/29歳)

 

  また、相手に手を差し伸べるだけでなく、自分から相手に心を開くようにもなったとも明かしていた。

 

三浦 「どうすればお互いが寄り添った形でいい方向に持っていけるかってことを、怖がらずに話せるようになったと思う。スタッフともよく話し合いをするようになりました」(週刊女性 2018年11月13日号/28歳)

「助け合うことによって生まれる、人の成長があると思うんです。実はそれが意外と重要なことなんじゃないかなと。だから最近、僕は助けてもらうことを恐れず、共演者やスタッフの方の胸に飛び込んでいくことが多いです」(からだにいいこと 2019年10月号/29歳)

 

  自己研鑽に励みつつ、いい感じで力が抜けてきたように見えた三浦さん。20代最後の年となった2019年は、舞台「罪と罰」、キンキーブーツの再演、映画「アイネクライネハナトムジーク」の公開、ドラマ「TWO WEEKS」に出演などを通して、駆け抜けるように過ぎた。本人が望んだペースよりも、慌ただしかったのではないだろか。

 ミュージカル俳優としてブロードウェイの舞台に立ちたいという夢を明かしていた三浦さんだが、30歳を目前にして、俳優として今一番興味があることを聞かれ、こんな発言を残していた。

 

三浦 「変に思われるかもしれませんが、よりよく生きること。いろいろな意味でよりよく生きれば、日々のマインドも波風立てられずに、仕事でもしっか自分の役目を果たせるんじゃないかなと思うから」(週刊女性 2020年1月1日号/29歳)

 

  よりよく生きること。三浦さんは30年という短い人生の間に、きらめくような言葉を残していた。出演作品とともに、これらの本人の言葉も生きた証として覚えてきたい。次回は、恋愛をテーマにふりかえる。(AERAdot.編集部)

 


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春馬くんの言葉☘️ 記事まとめ2️⃣

 

♢残したい「本人の言葉」~人との出会い~

 


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 21歳のとき、大切な人について聞かれて「家族と友達かな」と答えていた三浦さん。実際、インタビューでは、地元の友人・知人の話題にたびたび触れ、共演者については素直にリスペクトするコメントが多かった。その発言には、業界でうまく立ち回ろうといった損得勘定はなく、自分の身の回りの人を大事にしたいという純粋な気持ちだけがあったように思える。

芸能界での友人でまっさきに思い浮かべるのは、俳優の佐藤健さんではないだろうか。ドラマ「ブラッディ・マンディ」で共演し、一緒に旅をした様子を収めたDVDも出している。

 

三浦 「タケちゃんとは遠くもなく、近すぎることもなくいい関係」(MORE 2009年2月号/18歳)

「ふつうの男友達とはコイバナはしないんですけど(笑)。佐藤健くんにはたまに話しますね。アドバイスをしてくれるっていうより、話をちゃんと聞いてくれるんですよね。で、“お前は悪くないよ”って励ましてくれるし、僕が悪いときは“それはちょっと違う”ってはっきり言ってくれる。本当にいい友達だなって思います!」(an an 2010年9月29日号/20歳)

 

  気の置けない間柄。地元を離れて以降、三浦さんはそんな存在を求めていたのかもしれない。三浦さんは中学までは地元・茨城県で生活していたが、高校入学を機に上京。それからの10代後半を次のように振り返っている。

 

三浦 「仕事では、たくさん素敵な作品に出させていただいて、とても恵まれていました。でも、個人的には悩むことも多くて。学校の芸能コースという特殊な環境や、次々に移り変わっていく現場に身を置くうちに、変に自分を作るようになったというか……仮面をつけて暮らしている感じだったんです。周りとのコミュニケーションもうまくできなかった」(non・no 2014年3月号/23歳)

 

  佐藤さんと三浦さんの2人の対談では、男友達何人かでバーベキューをしたり、飲みにいったりしていたと明かしている。そうやって過ごす時間は純粋に楽しかったのだろう。

「尊敬する先輩」として名前を上げることが多かったのが小栗旬さんだ。三浦さんが10代のころから知り合いだった。

 

三浦  「ドラマ『貧乏男子 ボンビーメン』で共演してから、学ぶことばかりです。舞台やドラマ、映画で見せる並みはずれた集中力と、迫力ある演技。観客すべての瞳を独占するカッコよさはスゴイ」(AERA 2010年1月25日号/19歳)

「旬さんのお芝居には圧倒されました。セリフの間の取り方や監督の要望にすぐ応えられる適応力」(ザ・テレビジョン 2013年8月2日号/23歳)

 

  俳優としての仕事ぶりはもちろん、人間性についても惹かれていたという。

 

三浦  「旬さんは、どんな場面でもうそをつかない人。だから、人としても表現者としても魅力的なんだろうな」(non・no 2013年10月号/23歳)

 

  佐藤健さんに小栗旬さん、名前を挙げれば、芸能界のキラキラした交友関係を想像するかもしれないが、三浦さん自身が求めていたのはそうした「派手さ」ではなかったようだ。常に仕事では、同年代の俳優の活躍を意識していたことからもわかる。

 例えば、俳優の池松壮亮さん。同い年の2人は21歳のとき、警察学校を舞台にしたドラマ「陽はまた昇る」で共演した。そのときの対談では、三浦さんは池松さんを俳優として一目置いていた様子がうかがえる。

 

三浦 「一緒に現場に入れて、今はホントに芝居が楽しくてしょうがない。だって僕、壮亮は同世代の俳優の中で一番芝居がうまいと思うもん」(JUNON 2011年10月号/21歳)

「最初に現場で会ったときから、すごい存在感があったからね。まとっている空気がもうすごくて、見てて写真を撮りたくなった」(同)

 

 実は、2人とも子役出身。演技の世界に入るきっかけは児童劇団という点も同じ。ただ、池松さんは2003年にハリウッド映画「ラストサムライ」に出演して注目を浴びたが、決して「イケメン枠」ではなく、さわやかな役どころが多かった三浦さんとはある意味、俳優として真逆のタイプだ。このドラマ撮影時は、池松さんは大学生で映画を学んでいた(日本大学藝術学部映画学科監督コース卒)。同じようなキャリアを積んできたが、演技に対して自分とは異なるアプローチをしているのが気になって仕方がなかったようだ。

 

三浦 「大学に一緒に連れてってほしい。僕すごい変装していくから(笑)」(同)

「壮亮がどういう環境で映画のこと勉強しているのか見てみたいから、一緒に教室で授業聞く。で、出席とるとき代わりに返事してあげる(笑)」(同)

 

  後に、三浦さんは役者として、現場で経験から身に着けるもの以外に、演劇論などの「学び」から得られる技術や視野も必要だと思い始める。29歳のとき、繰り返し読んだ本として選んだ一冊は、小説でも、漫画でもなく、「メソード演技」という演技の本だ。

 

三浦 「10代のころからお芝居の仕事をさせてもらってますが、これまで演技論を勉強したり、ワークショップを経験したことがなかった僕にとっては、非常に興味深く、ためになる本でした」(ダ・ヴィンチ 2019年4月号/29歳)

 

 この発言とは前後するが、2017年にはイギリスに短期留学。英語の習得が第一目的だったが、語学学校に通いながらもワークショップに参加し、ボイストレーニングを行い、美術館や舞台に足を運んだことを明かしている。こうして自ら学ぼうとする姿勢は、池松さんとの出会いが少なからず影響しているのかもしれない。

 20代前半のころ、同年代だけでなく、一回り以上歳の離れた俳優からも刺激を受けていた。インタビューでは「自分にうそをつかない」といった趣旨の発言がたびたび出てくるが、ドラマ「陽はまた昇る」で共演した佐藤浩市さんに言われた言葉だという。

 

三浦 「浩市さんから『自分にうそはつくなよ』と言われたんです。その言葉いろんな意味で響きました。実はこれまでの僕は、自分のまわりで何かおかしいと思うことがあっても、『自分には関係ない』とどこか切り離して、逃げてしまうようなところがあったんです。でも、今は変わろうと思っています。自分の至らない点も認めながら、相手のダメなところをちゃんと伝える。そうすることで、高め合っていきたいんです。そうすればきっと、本当の絆ができていくんじゃないかと」(サンキュ! 2011年8月号/21歳)

 

 役者として活躍の場を広げていったとき、この佐藤浩市さんの助言を大事にしたことは想像に難くない。例えば、初めて外国人演出家と作り上げた舞台「地獄のオルフェウス」では、主人公を演じた女優・大竹しのぶさんとの実力の差を素直に認めていた。

 

三浦 「(稽古で)大竹さんの演技を見て、心から感動したんですよね。子どもの頃からお芝居をやってきて、経験を積んだつもりでいましたが、純粋に感動して……。まだまだだなあと思いました」(婦人公論 2015年5月12日号/25歳)

 

  この時のインタビューでは、相手に自分の言葉を伝えることの大切さについても語っている。今までの自分については、「言動がどう相手に伝わるのかということに敏感でなかった」と振り返っていた。

 

三浦 「今までは、自分のフィールドで一所懸命頑張っていれば何も怖いものはないという感覚がどこかにあったと思うんです。周りにいい先輩がいてかわいがってくれて、ちょっと失礼に当たることをしても意に介さないでいてくれる。だけど、親しき仲にも礼儀あり、なんですよね」(同)
 
 自分を卑下するのではなく、相手に媚びるのでもなく、自分にうそをつかない。三浦さんには、自分にないものを持ち合わせている相手をリスペクトする気持ちが常にあったのではないだろうか。

 意外なところでは、シンガーソングライターの高橋優さんとも交友があった。三浦さんが出演したドラマ「オトナ高校」の主題歌「ルポルタージュ」を歌っていたのが高橋さんで、三浦さんはミュージックビデオに出演し、楽曲のコーラスにも参加した。これを機に2人で食事をするようになったという。

 

三浦 「とりわけ僕は、芝居のなかでも特にミュージカルをたくさんやっていきたいと思っていて。なので、声楽のことや喉のメンテナンス、普段のトレーニングの仕方を教えてもらったりしています。逆に優くんのほうも、最近は芝居の仕事もやり始めているからこそ、(中略)自然な芝居とは一体何なのか、春馬くんの考えを聞かせてほしいって。そういう意味では、今自分が知りたいものを持ち合わせている相手として、お互いがお互いを必要としているんだと思います」(別冊カドカワ 2018年10月号/28歳)

 

 もちろん、馬が合ったというのも大きい。高橋さんについて語った言葉には、三浦さんの人柄がよく表れている。

 

三浦 「僕にとっての優くんを一言で表すなら、“好きな人”。優しい人なんですよ。人のことを放っておけないタイプというか。(中略)人に対する思いやりを常に持ち合わせている人だからこそ書ける歌詞が、どの曲にもあるように思いますし」(同)

 

  俳優の柳楽優弥さんも三浦さんの人生において大きな存在だった。この夏に放送されたドラマ「太陽の子」で共演した2人だが、子役のときには現場で一緒になることもあり、同じ高校に通っていたものの、当時はほとんど話をしなかったという。そんな関係性が変化したのが、映画「銀魂2」での共演。さまざまな経験を経て、役者として作品を通して共鳴しあえる仲になっていた。

 

三浦 「今回一緒に仕事をしてみて、実は僕たち、心根の部分で近しい気質を持っていたことがわかったんです」(Cut 2018年8月号/28歳)

「馴れ合いになるような関係性では絶対になくって、お互いが子役からやっているからこそ、いい意味でお互いのことを気にしているんですよ。『今は集中したいだろうから、話しかけないほうがいいな』みたいなことがなんとなくわかるというか」(同)

「これ説明つかないよね。こういう関係性になってみらいとわからないだろうなあって思う(笑)」(同)

 

  深いところで理解し合えるライバルだったのだろう。

 子役から大人の俳優へと成長を遂げた三浦さん。いつしか「海外」という言葉も出くるようになった。それでも、心の支えになっていたのは中学卒業までを過ごした地元・茨城の友人や知人だった。

一番は、双子の親友の存在だろう。

 

三浦 「小学校高学年の時に、親友の双子と3人で自宅から筑波山まで遠出したのはすごく印象に残ってますね。軽く、2、3時間はかかる距離なんですが、夏の暑い日に3人で井上陽水さんの『少年時代』を大声で歌いながら(笑)、ひらすら走りましたね。懐かしいなぁ~。アイツら覚えているかな?」(non・no 2013年6月号/23歳)

 

  この双子の親友は思い出の中の存在にとどまらず、俳優としての道を歩む三浦さんに寄り添い、時間をともにしてきた。

 

三浦 「小学校からの双子の親友がいて、彼らはボクシングの世界チャンピオンなんですが、いつもビジョンを話し切磋琢磨し合ってきました。どんなにお金をもっていてもシェアする人がいないのは寂しい、僕は幸せだと思います」(美ST 2018年1月号/27歳)

「小学校五年生のときから親しくし合える格闘家の兄弟の存在が大きいと思います。(中略)彼らにいい報告ができるように頑張る!という感じなので(笑)。一緒にご飯を食べにいっては、近い将来のこと、遠い将来のこと、いろいろなことを楽しく会話して、刺激をもらったり、自分に嘘のない、いい芝居をしていこうと改めて思ったり……。(中略)メンタル面でもかなり支えてもらっています」(家庭画報 2019年2月号/28歳)

 

 もう一人、詳しい素性は明かしていないが、長年お世話になった人として、三浦さんが言及している人物がいる。児童劇団時代に三浦さんに演技指導をした人で、上京してからは連絡が途絶えていた。亡くなる直前に知人から連絡を受けて会いに行ったという。

 

三浦 「そこで最後に言ってくれた『絶対に焦るんじゃないぞ』という言葉を、これから先も思い出しながら、ずっと自分の糧にしていくんだろうなと思います。忘れられません、その言葉が」(週刊文春 2018年12月18日号/28歳)

 

  誰もが三浦さんのことを、向上心があって努力家だと評する。ただ、そうした成長への欲求はたいてい、現状に対する「焦り」と表裏一体。三浦さんのそばにいた人はそれを見抜いて言葉をかけ、本人も自覚していたのかもしれない。好きな言葉や座右の銘を聞かれると、三浦さんは自分に言い聞かせるように「焦らないこと」と答えていた。

  そして迎えた30歳。発言の内容からは人生の節目に目標を掲げることで、ひとつひとつ乗り越えようとしていたようにも思える。

 

三浦 「30代は迷っている暇はない。漠然と思い描いていたビジョンを、具体的に形にしていく年代だと思っています」(NIKKEI WOMAN 2020年3月号/29歳)

 

「30歳」にむけて、三浦さんはどのような未来を思い描いていたのか。次回は20半ばから出演した作品とそれに対する発言を中心に振り返りたい。(AERAdot.編集部)

 


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春馬くんの言葉☘️ 記事まとめ1️⃣

 

※※※  春馬くんの言葉を綴った記事を AERAdot さんがまとめて下さっていました。

1️⃣~5️⃣ まであります。

このブログを見に来ていただいている方に

こちらからでも読んでもらえるかと思ったので。

その時々に春馬くんが正直に語っていました。

 

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♢もう一度聞きたい「本人の言葉」~家族と仕事~


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  三浦さんが10代後半のころに、インタビューした編集者は当時を振り返って、こう話す。

「こちらの目をまっすぐ見て、そらさないんです。すごく自信があるのか、自信がまったくないのか、そのどちらかだと思いました」

 あいさつの角度が美しく、礼儀正しかったという。

 俳優がインタビューに応じる場面は、ほとんどが「番宣」。出演した作品のPRのために役柄について話すことが多く、それ以外の質問には はぐらかしたり、ありきたりな回答に終始したりと、面白みに欠ける内容になりがちだ。

 それが三浦さんの場合、人柄がうかがえる答えや、一歩踏み込んだ真摯な回答が多かった。作品に絡めて自分自身の人生を振り返る内容も目立った。実際、28歳のときのインタビューでは、10代半ばの心境を次のように明かしている。

 

三浦 「ちょうど子役から大人の俳優に差し掛かった辺りで、まわりの大人たちの言うことも理解したい、でもできないっていう、ただ愛想笑いばかりしている時期だったんです。不安でした。だから自分の居場所はカメラが回っているその瞬間にしかないと思って、(中略) 芝居で認めてもらうしかないような気がしていたんです。そういうぐじぐじした感じは二十歳くらいまで引きずっていたのかな」(週刊文春2018年12月13日号/28歳)

 

  嘘がつけない性格と語っていた三浦さん。インタビューの言葉から、その人生観が見えてくる。テーマに沿って、生きた証の言葉をひとつひとつ拾っていこう。

 

【家族を大切にする思い】

 

公の場ではプライベートを明かさない芸能人も多い中、三浦さんは自分の「家族」について、たびたび語っていた。子役としてデビューし、中学生までは茨城県で学校に通いながら、芸能活動を続けた。高校進学を機に上京。年頃の青年によくあるように、「演技について母親は何も言わないなあ」と話すくらいだった。

それが高校を卒業し、俳優業に専念し始めたあたりから、家族についての発言が増え始める。21歳のときには、はっきりと「親孝行をしたい」と語っていた。

 

三浦 「(親に対しては)ふとした時に荷物を持ってあげるとか、掃除機をかけてあげるとか、そういうことはやるようにしています」(non・no 2011年8月号/21歳)

「やっぱり、離れて住むようになったことで、分かったことはたくさんあります。家族のためにも仕事を頑張れたらいいなと思うようにもなったし、(中略) ちょっとしたことでも親はすごく思ってくれてるんだなって感慨深い気持ちになります」(同)

 
 21歳の誕生日を迎える前月、東日本大震災が起きたことも大きかったようだ。

さらに三浦さんが家族に対する思いを強くしたのが、2013年12月公開の映画『永遠の0』への出演。三浦さんは特攻隊だった祖父のことを調べる青年役だった。この映画への出演を機に、三浦さんは母親に話をきいたところ、自身の祖父が特攻隊要員だったことが明らかになった。

 

三浦 「家族のことをこんなに深く掘り下げて考えたのは初めてだし、自分のルーツを知ったことで僕も強くなれた気がする。この作品に出会わなかったら味わうことのなかった感情や、思い至らない考えがたくさん浮かんで、それは大きな経験だったんです」(With 2014年1月号/23歳)

 このとき、三浦さんは23歳。キャリアをスタートさせたのが早かったとはいえ、言葉の選び方や考え方は同世代とくらべて成熟した印象だ。

また、今回、三浦さんの死を受けて、家族、特に母親との関係についてさまざまな報道があったが、三浦さんの口から直接語られたのは家族に感謝する素直な気持ちと、家族と過ごす時間の温かいエピソードだった。

 

三浦 「この家族の元に生まれてきてよかったと思える心。なにかを成し遂げた時に喜びを人と共有できる高揚感。そういう瞬間のために生きている」(2014年2月22日付朝日新聞朝刊/23歳)

「たまにね、地元の茨城から両親が来てくれるんです。ごはんを作ってくれたり洗濯してくれたり。お父さんはいつもお母さんをからかって、そのやりとりを見ていても楽しいし、便乗して参加しても楽しいんですよ(笑)。そうして家族3人の時間を過ごして、『じゃあね』って2人が帰るそのときに、『ありがたいなぁ』って思う感じ…つながってるなって。これがね、言葉にならない幸せなとき。いい時間なんです」(25ans 2014年3月号/23歳)

 

そして、近年は、自分がいつか家族を持つことについてもさりげなく触れている。

 

三浦 「もしかして、自分の子どもが生まれた時に、その子が成長していく過程で何か導けるような、その子を傷つけないようなことを言えたらいいなと思うんです」(婦人公論 2015年5月12日号/25歳)

「もしかして30代になったら、家族が増えたりすることもあるかもしれないじゃないですか。だから20代のうちにいっぱい悩んで、いっぱい立ち止まって、いっぱい失敗できたことは悪くなかったなって思うんです」(MORE 2019年10月号/29歳)

 

過去に恋愛や結婚についてたずねられたとき、結婚をしたら子どもがほしいと答えていた三浦さん。それは本心なのだろう。

一方で結婚については、複数の媒体で昨年、「今はする気がない」といった趣旨の発言をしていた。週刊朝日の作家の林真理子さんとの対談でも「(結婚は)しないかもしれませんよ」とサラリ。ほかにもこんな発言をしている。

 

三浦 「結婚ですか(笑)。確かに、20代も後半になると、結婚に関して聞かれることが多くなりました。実際、20代前半の頃は、『30歳までにはきっと結婚するでしょう』と言っていました。でも、今は全然結婚したくないんです。(笑) 

40歳くらいまでにできればいい。そういうふうに気持ちが変化したのも、自分の中に俳優としてやるべきこと、やりたいことが明確に見えてきたからだと思います」(婦人公論2019年10月8日号/29歳)

 
 家族への憧れと、結婚、そして仕事。30歳目前にして複雑な胸の内がみてとれた。

 

【俳優という仕事について】

 

 7歳で子役としてデビュー。13歳でNHK大河ドラマ「武蔵」に出演し、その後も一度もキャリアが途切れることなく、映画や俳優、舞台と活躍の場を徐々に広げてきた。

 10代のころは「自分の色」を探し求めて模索していたように思える。

 

三浦 「とにかくずっと俳優を続けて、田村正和さんのように、誰にもできないような演技、その人だけにしかない輝きを演じられるようになりたいです」(週刊女性2005年5月24日号/15歳)

「自分だけの色を出せるような俳優さんになれたらいいなって思います」(ピクトアップ2006年6月号/16歳)

 

 2007年に映画「恋空」に出演。映画はヒットし、翌年、日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞した。07年は映画「奈緒子」にも出演した。旬の俳優として注目を浴びたが、本人の発言からは、何者にもなりきれていない、10代後半の迷いや葛藤がのぞく。

 

三浦 「5年後どうなっているとか、目標とする人とかはわからないです。興味のあることは、片っ端からチャレンジして、『自分らしい』何かを見つけたいですね」(JJ  2008年3月号/17歳)

 

 同時に、2本の映画の出演によって俳優としての手ごたえをつかんでいたようだ。インタビューでは俳優という職業について前向きな言葉を繰り返し述べていた。

 

三浦 「本番前の役の気持ちの作り方や集中の仕方、そしてひとつの作品を作り上げる喜びを、これまで以上に深く見い出せるようになったという手応えは感じています」(anan  2008年2月13日号/17歳)

「ひとつの作品を終え、それが上映される頃になって、作品を通じて、俳優・三浦春馬が今まで味わったことのない感情を味わえていたことに気づくんです。自分を見つめ直せる職業なんだなって、ここ1、2年で気づきました」(MORE 2008年9月号/18歳)

 

その後、ドラマ「ごくせん」シリーズやドラマ「ブラッティ・マンデイ」、映画「君に届け」など立て続けに話題作に出演。20歳になったときには、等身大の「ありのままの自分」を受け入れる余裕もみえてきた。

 

三浦 「多分、強くなったと思うんです。(中略)最近、自分の進んでいる道や、そのイメージが分かってきたんです。これからどう進めていいのかも。(中略)いまはお芝居だけじゃなくて、全部含めてこの世界を楽しめていると思います」(ピクトアップ2010年10月号/20歳)

「ここ最近、10代の頃には気づけなかったことに、気づきはじめてる気がするんですよ、劇的に。もっといろんなものを見たいし、気づきたい。もっともっと、いい景色も見たいですしね。そのために、20代もありのままの自分で、一生懸命やっていけたらって思います」(With 2010年10月号/20歳)

 
 20歳を超えると、役作りにも変化がみられてきた。本人曰く、子役のころから「どんな役も台本を読み込む」ことはしてきた。さらに、原作となる小説や漫画を読み、世界観を理解するように。これは映画やドラマに出演するならば当たり前のことのように思えるが、実はそうでもない。作品の原作者の作家と出演者の対談で、原作を全く読んでいなかったために、会話が続かず、早めに切り上げざるをえなかったという話は珍しくない。ところが三浦さんの場合、出演作の原作はもちろん、それ以外でもその作家の作品も読み、オススメの書籍として雑誌で紹介することもあった。

 また、2011年6月公開の映画「東京公園」のカメラマンの志望の役では、普段から常にカメラを持ち歩いていたという。

 

三浦 「プロデューサーからお借りした一眼レフをずっと持ち歩いていました。光司(役)にとってカメラが一番近くにあるっていう感覚は、少しでも染みつけせておかないと演技に出てこないんじゃないかと思って」(non・no 2011 年8月号/21歳)

 

 作品への理解を深め、演じる役の人物像を膨らませていく。例えば、篠原涼子と共演したドラマ「ラスト・シンデレラ」。いわゆるラブコメディーだが、三浦さんが語ったのは別の側面だ。

 

三浦 「コメディーとはいっても、おもしろいだけではなく、人の繊細な部分が丁寧に描かれている作品。そういう面も、大事に演じていきたいなと思っています」(non・no 2013年6月号/23歳)

 

また、映画「進撃の巨人 ATTACK ON TITAN」でも、エンタメ作品ながらテーマを掘り下げて解釈していた。

 

三浦 「僕の解釈で話させてもらうと、映画化するにあたって、樋口真嗣監督は普遍性を感じてほしかったんじゃないかとなと思ったんです。つまり、エレンは孤独で、漠然と現状に納得がいかずにもがいているんだけど、大きな目標や、自分が打ち込めるものが見つかっていない。だから仕事も辞めてしまうし、何かに当たる……。これって、誰もが経験をしたことがありますよね。(中略)だから、自分に近い視点で見てもらえると思うんです」(AERA 2015年8月3日号/25歳)
 「だれでも今の環境から逃げたいって思ったことがあるんじゃないかな。過去の経験になぞらえて観ていただいたら、また違う楽しみ方があると思います」(ESSE 2015年8月号/25歳)

 

三浦さんの作品に対する姿勢と、役作りへの努力、そして役柄への共感は、繊細な演技が必要とされる難しい役どころでも生きた。ドラマ「僕のいた時間」では、筋萎縮性側索硬化症(ALS)を発症する大学生の役を演じた。

 

三浦 「死が迫りくるとき、人はどういう感情を抱き、どういう希望を見出すのか。みんなの意見も受け入れながら、自分でとことん考え抜きたい。そして少しずつ変化してゆく気持ちをていねいに演じていきたいですね」(25ans 2014年3月号/23歳)

 

振り返れば、ドラァククイーンを演じたミュージカル「キンキーブーツ」(2016年4月/26歳)、ドストエフスキーの小説を舞台化した「罪と罰」(2019年1月/28歳)、ドラマ「太陽の子」(2020年8月/30歳)など複雑な境遇に置かれた人物を好演してきた。どれもそれなりの準備が必要だろう。

 こうしたドラマや舞台の準備に加え、語学の学習も続け、短期間だがイギリスに語学留学も果たしたというから、驚きだ。

 

三浦 「怠け者の部類に入るほうなので、そうやって時間を埋めておかないと駄目なんです」(週刊文春2018年12月13日号/28歳)

 

 インタビューを読む限り、与えられた仕事に真摯に取り組んできたことは確か。ただ、その俳優人生の核となったものは、ギラギラした野心というよりは、いい演技、理想の演技の追求だったように思える。

 順風満帆にみえた三浦さんの俳優人生。三浦さん自身は30歳の節目をどのようにとらえていたのだろうか。立ち止まる時間はあったのだろうか。次回は、友人をテーマに振り返る。(AERAdot.編集部)




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君に届け

 


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私が春馬くんを想いはじめたのがこの映画でした。

高校三年の夏休み明け。同じクラスの Kちゃんから「受験生だから夏休みは夏期講習や勉強を頑張った。一日くらい映画を観に行きたいと思わない?」と聞かれて。

映画どうのこうのより Kちゃんの気持ちは凄くわかったから 「そうだね。何かいい映画があるの?」となにげに返事をしました。

椎名軽穂さんの『君に届け』が映画になるから観に行きたくて」と。

Kちゃんはクラスに一人はいるような漫画少女でした。とにかく原作が大好きだから映画も観たいと思ったようです。


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「風早くんを三浦春馬くん、爽子ちゃんを多部未華子ちゃんがするの」

三浦春馬くん…と聞いても私はブラッディ・マンデイとサムライハイスクールのイケメンくんという認識しかありませんでした。

春馬くんが嫌がるこの表現方法…ごめんね💦

どちらのドラマもちょこっと、いやほぼ観ていないの同然。今となっては何てことをしてしまっていたのだろう。

言い訳をさせていただくなら 高校生活は部活に打ち込んでいて家に帰ってからあまりテレビを観ている時間がなかったので仕方がなかったのであります。

ごめんね💦

で、映画を Kちゃんと2人で観に行くことになりました。

私は原作の漫画をガッツリではないけど読んだこともありました。

 

風早くん = みんなが憧れる爽やか男子

そういうイメージ。

 

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観終えたら 春馬くんに心を完全に持っていかれてました。

あんな爽やかな笑顔を見せられたらムリですよね。

 

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三浦春馬くんってこんなに素敵だったぁ???

気付くのが確かに遅かったけれど まだこの時点で気付けて良かった。

誘ってくれた Kちゃんが神に見えました。

ホントにありがとう!!

 

 

♢当時の記事になります↓↓↓↓↓♢

 

ーー  LOVELYすぎる笑顔である! 三浦春馬。さすがあの“風早くん”を体現した男。 御存知のとおり彼は大人気少女コミックの映画化、『君に届け』 で、愛すべき王子様キャラの風早翔太を演じた。

 

三浦  振り返ると、 この作品との出会いはちょっと運命的なものがありました。コミックではなく、 深夜にテレビ放映されていたアニメ版を見たのが最初なんですけど 、昨年『サムライ・ハイスクール』 というドラマの収録に追われていた頃でした。

撮影が終わってクタクタになって深夜、 家に戻ってテレビをつけたら、偶然やっていて。 登場人物たちの純な思い、 が詰まっていて胸がキュンとしたというか、 その世界に魅かれて気持ちを持っていかれてました。

 

ーー 風早は、 明るく誰に対しても分け隔てなく接する高校1年生。 クラスのみんなから好かれている人気者だ。外見が暗く、 ピュアすぎる性格ゆえ周囲から浮いている黒沼爽子(多部未華子) に特別な感情を抱いているが、爽子との間はまだ恋愛未満──。


三浦    映画化に関して、いつもより周囲の反応が多いですね。 男性でもタイトルを知っている方が多い、 という印象を受けました。風早ってキャラが立っていて、 男から見ても憧れますよ。 好きな女の子に対して的確なアドバイスをし、 応援してあげる姿勢は、見習いたいなと思います。 でもこれは難しい! 人間の感情として、やっぱり“一番自分が大切” だと思う瞬間ってあるし、 好きな相手に見せたくない部分を見せちゃうこともあるじゃないで すか(笑)。

 

ーー スイッチが入った。『君に届け』を通して「LOVE」 について語ってもうおうと思う。もちろん、いろいろなLOVE= 愛について。


三浦  僕自身、“好き”という気持ちは相手に素直に伝えるタイプです。 風早とは違う。自分からアプローチします。といっても、 ストレートにぶつかるのはハードルが高いので、いろいろ「 相手が喜ぶことって何だろう」と考えて行動に移します。

 

ーー 撮影中、熊澤尚人監督から「 もっともっと恋した気持ちになって」とアドバイスされたという。


三浦  もっとドキドキして、もっと恥ずかしがって、って。 爽子と風早のふたりの距離感はぜんぜん縮まってはいないんだけど 、互いに“好きだ”という気持ちの中で、はにかんだり、 一緒にいられるだけで嬉しいと感じたり、 そういう純な思いが全面にあふれ出ている。とっても清冽で、 甘酸っぱい映画なんですよね。

 

ーー LOVEといえば昨年(=2009年)、 彼が初挑戦した舞台、地球ゴージャスプロデュース公演VoL. 10『星の大地に降る涙』は、 歴史ファンタジーの中に異民族同士の共存の物語、 そして愛の織りなす悲劇を綴った作品だった。しばし、 回想してもらおう。


三浦  あの舞台は、僕にとって大きな経験になりました。 描かれていた愛の複雑さ、反戦のテーマも胸に迫るものでした。 テーマが大きいから演じている僕たちも、 何ていうのか足下ではなく遠くを眺め、 物語の世界に入っていけるというのか。セリフを吐きだすときも、 歌を唄うときも、 お客さんに向かって熱意が伝わっていく感じがたまらなく良かった 。ぜひ舞台はまたやってみたいです。

 

ーー 今年(=2010年)4月に20歳になった。 これまでの役者人生は順風満帆に思えるのだが、 あのLOVELYな笑顔の裏には人知れぬ時間があった。

 

三浦  じつは「この仕事が本当に好き」 と自信をもって言えるようになったのは最近なんです。 今年に入ってから。 それは僕がちょうど20歳になったからではなく、 いろいろと挫折していく中で自分という人間を否応なく見つめ、 ようやくそう言えるようになったんです。この『君に届け』 の撮影に入る前がキツかったですね。すべてに自信を失っていた。 忙しすぎたこともありますが、 ちょっと精神的にも参っていたんですよね。


ーー そんな彼の窮地を救ってくれたのもやはりLOVE 。周囲の人々の支えであり、優しさだった。

 

三浦  そうですねえ、 ひとりだけで乗り越えようとしてたら無理だったかもしれませんね 。叱咤激励され、背中を押してもらって、 少しずつ回復していきました。でもそのとき感じたのは、 ギリギリまで追いつめられると、 意外と近くの人には相談できないものなんだなって。 今までは何か問題を抱えても、 僕は自分の力だけでどうにか解消してきたんですけど、 とことんキツイと、自分でもどうにもならないし、 人にも言えないんですよね。というのも、 周りのみんなが輝いて見えて、だからなおさら相談できなくなる… …。弱みを見せたくないという気持ちは確実にありましたね。 でもそれを吹っ切って、家族やスタッフ、 友人に話をして浮上するキッカケを掴んだんです。


ーー 赤裸々な言葉だった。こんなに輝いている存在が、 周囲の輝きに気後れしてしまうなんて。 だがLOVEのカは偉大なり。『君に届け』は、 脱皮した三浦春馬が見られる映画である。

 

三浦  久しぶりの映画の現場でしたから楽しかったです。もちろん、 細やかな演技を要求されて大変な面もありましたが。 それまで切羽詰まった役が続いていたんですね。舞台「 星の大地に降る涙」があって、TVドラマを『サムライ・ ハイスクール』『ブラッディ・マンデイ』シーズン2とやり、 だからなのか『君に届け』の現場では熊澤監督に、 振り向くスピードが早すぎるとまず指摘されました。きっと『 ブラッディ・マンデイ』の、 いつも命を狙われているような世界観がカラダに染みついていたの でしょう(笑)。もっと体の力を抜くように、 って熊澤監督にはよく言われてました。


ーー これまでは、 大勢のキャストと現場で過ごすのはわりと苦手だったそうだが、 今回は、自ら積極的に前に出てコミュニケーションをとり、 撮影を進んで牽引していった。


三浦  前々から何かを変えたいと思っていたんですよね。今回は、 自分から監督にリテイクをお願いしたことも何回かありました。 風早を演じながら「俺、気持ちにウソをついているな」 と気づいた瞬間、自然と「もう1回やらせて下さい」 と言い出していたんです。逆に「 このシーンは自分なりに上手くできたのでは」と感じたときに、 監督から「良かったよ」と声をかけてもらえることもあって、 充実した現場でしたね。


ーー 自分へのLOVE。「この仕事が本当に好き」 と自信をもって言えるようになった愛の力。 それにしてもよく立ち直ったものだ。そう声をかけると、 彼は素直にこう返事をした。

 

三浦  本当ですね。あそこまで追い込まれたのは初めてで、自分のこと、 弱いなと思いました。


ーー 無問題。「弱い」と自ら言えるくらい、 今は柔軟な精神状態なのだ。

 

三浦  頼るときには人に頼らなきゃダメなんですよね。でも、 もっと強くなりたい。もっと免疫をつけたい。


ーー となると、 これからはより逞しくタフになっていく予感がする?

 

三浦  う〜ん、簡単にはなれないと思います。 そうなろうとする気持ちだけは失いませんけど。


ーー 取材の終了時間が来た。帰りしなに、もう一問、 訊いてみた。

「LOVEと聞いて、思い浮かべるものは何ですか?」

 

三浦  ハートですね。


ーー なるほど、HEART。心臓。胸。心。感情。愛情。 元気。勇気。気力。熱意。関心。興味。ハート形のもの── すべてのLOVEはそこに宿る。

これまでも恋愛物には出演していたが、例えばTVドラマ「 14才の母」や映画『恋空』とは違って、『君に届け』 は恋愛未満のシチュエーションに力点が置かれており、 三浦春馬は一層その柔らかな魅力を発揮することを望まれ、 と同時に一定のリアルさも与えねばならず、つまりは、 難役である。一筋縄ではいかない。

原作は「別冊マーガレット」にて連載のコミック。 単行本は少女漫画としては異例の1200万部を突破(※ 2010年当時)。爽子と風早の、片想いと片想いの物語。

「初めての大好き」 という誰もが共感できる尊い気持ちを描いた原作者の椎名軽穂は、 主演者について、「凛とした佇まいが美しい多部未華子さん。 毅然とした男らしさが爽やかな三浦春馬君。 清々しくも雰囲気のある、そして絵になるおふたりが、 実際に映画の中で画になるのがとても嬉しく、 今から待ち遠しく思っています」とコメントしている。「絵」 から「画」へ。しかし三浦春馬の演技は、写実派一辺倒ではなく、 水彩画のソフトな筆致も入れて、人物を浮き立たせるだろう。 フラットな「絵」が立体化され、LOVELYな「画」に。 それがあの、とびっきりの笑顔なのだ。

 

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春馬くんは本当に正直に話していることが多いです。

辛い時期を乗り越えた後にこの作品に出合った。

『 頼るときには人に頼らなきゃダメなんですよね。でも、 もっと強くなりたい。もっと免疫をつけたい。』

ここでも春馬くんは言っていますよね。

頼るときには人に頼らなきゃダメなんです…。

 

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春馬くんが印象に残っているシーンについて語っています。↓


https://youtu.be/dUDleq5VS-0

そうですね、映画でのラブシーンは私もこのシーンだなと思います。

風早くんに手を引っ張られて連れていかれたらドキドキしますよね💓


https://youtu.be/Uq0DCgbSWIs

いいなー多部ちゃん。。

 

そう、先日、多部未華子ちゃんの過去の出演映画、ドラマの中でどのキャラクターが好きかというアンケートで堂々の1位が『君に届け』の黒沼 爽子ちゃんでした。可愛かったもの✨

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Mステで映画主題歌ベスト10が流れていて flumpoolの『君に届け』とミスチルの恋空の主題歌『旅立ちの唄』が10位、9位と入っていました。

油断して観ていたら春馬くんが映って💧


https://youtu.be/QzpgZVG_cHc

私は『君に届け』の後に『恋空』をDVDで観ることになります。金髪があんなに品よく似合う人はなかなかいませんよね。

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17歳の春馬くんも やっぱりカッコいいです。

 


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風早くんを完璧に再現出来ていると原作ファンの Kちゃんが認めていました。

お芝居は本当に上手です。目の動きとか表情とかで演じられるんです。


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もうね、この笑顔。

なんだろう、私には王子様にしか見えません💓


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ほらね、王子様 💓


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ほら 💓


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ねっ💓

 

(当時に戻ったみたいに浮かれてスミマセン💦)

 

日舞台挨拶で春馬くんにはスタッフさんから。多部ちゃんには椎名軽穂さんから手紙を渡されて2人とも読み上げていたのですが 感極まり涙を流していました。

春馬くんは「見てくれる人は見てくれている」と男泣きでした。


https://youtu.be/55YnW3EeIEA

映画のキャンペーンにも沢山 回ったし、番宣も沢山 出ていたし 春馬くん、多部ちゃん、頑張りました。


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沢山の人に この切ないキラキラした映画は届いたはずです。

 

ありがとう😌💓

 

そしてこの時、春馬くんは20歳。

10年後の自分に手紙を書いていましたね。

 

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春馬くん、凄い人になっているよ。

 

本当に ありがとう。

 


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能和你见面,真的很幸福。