komugi_haru_M’s blog

三浦春馬君への気持ちをただ書かせていただいています🌟

春馬くんの言葉☘️ 記事まとめ1️⃣

 

※※※  春馬くんの言葉を綴った記事を AERAdot さんがまとめて下さっていました。

1️⃣~5️⃣ まであります。

このブログを見に来ていただいている方に

こちらからでも読んでもらえるかと思ったので。

その時々に春馬くんが正直に語っていました。

 

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♢もう一度聞きたい「本人の言葉」~家族と仕事~


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  三浦さんが10代後半のころに、インタビューした編集者は当時を振り返って、こう話す。

「こちらの目をまっすぐ見て、そらさないんです。すごく自信があるのか、自信がまったくないのか、そのどちらかだと思いました」

 あいさつの角度が美しく、礼儀正しかったという。

 俳優がインタビューに応じる場面は、ほとんどが「番宣」。出演した作品のPRのために役柄について話すことが多く、それ以外の質問には はぐらかしたり、ありきたりな回答に終始したりと、面白みに欠ける内容になりがちだ。

 それが三浦さんの場合、人柄がうかがえる答えや、一歩踏み込んだ真摯な回答が多かった。作品に絡めて自分自身の人生を振り返る内容も目立った。実際、28歳のときのインタビューでは、10代半ばの心境を次のように明かしている。

 

三浦 「ちょうど子役から大人の俳優に差し掛かった辺りで、まわりの大人たちの言うことも理解したい、でもできないっていう、ただ愛想笑いばかりしている時期だったんです。不安でした。だから自分の居場所はカメラが回っているその瞬間にしかないと思って、(中略) 芝居で認めてもらうしかないような気がしていたんです。そういうぐじぐじした感じは二十歳くらいまで引きずっていたのかな」(週刊文春2018年12月13日号/28歳)

 

  嘘がつけない性格と語っていた三浦さん。インタビューの言葉から、その人生観が見えてくる。テーマに沿って、生きた証の言葉をひとつひとつ拾っていこう。

 

【家族を大切にする思い】

 

公の場ではプライベートを明かさない芸能人も多い中、三浦さんは自分の「家族」について、たびたび語っていた。子役としてデビューし、中学生までは茨城県で学校に通いながら、芸能活動を続けた。高校進学を機に上京。年頃の青年によくあるように、「演技について母親は何も言わないなあ」と話すくらいだった。

それが高校を卒業し、俳優業に専念し始めたあたりから、家族についての発言が増え始める。21歳のときには、はっきりと「親孝行をしたい」と語っていた。

 

三浦 「(親に対しては)ふとした時に荷物を持ってあげるとか、掃除機をかけてあげるとか、そういうことはやるようにしています」(non・no 2011年8月号/21歳)

「やっぱり、離れて住むようになったことで、分かったことはたくさんあります。家族のためにも仕事を頑張れたらいいなと思うようにもなったし、(中略) ちょっとしたことでも親はすごく思ってくれてるんだなって感慨深い気持ちになります」(同)

 
 21歳の誕生日を迎える前月、東日本大震災が起きたことも大きかったようだ。

さらに三浦さんが家族に対する思いを強くしたのが、2013年12月公開の映画『永遠の0』への出演。三浦さんは特攻隊だった祖父のことを調べる青年役だった。この映画への出演を機に、三浦さんは母親に話をきいたところ、自身の祖父が特攻隊要員だったことが明らかになった。

 

三浦 「家族のことをこんなに深く掘り下げて考えたのは初めてだし、自分のルーツを知ったことで僕も強くなれた気がする。この作品に出会わなかったら味わうことのなかった感情や、思い至らない考えがたくさん浮かんで、それは大きな経験だったんです」(With 2014年1月号/23歳)

 このとき、三浦さんは23歳。キャリアをスタートさせたのが早かったとはいえ、言葉の選び方や考え方は同世代とくらべて成熟した印象だ。

また、今回、三浦さんの死を受けて、家族、特に母親との関係についてさまざまな報道があったが、三浦さんの口から直接語られたのは家族に感謝する素直な気持ちと、家族と過ごす時間の温かいエピソードだった。

 

三浦 「この家族の元に生まれてきてよかったと思える心。なにかを成し遂げた時に喜びを人と共有できる高揚感。そういう瞬間のために生きている」(2014年2月22日付朝日新聞朝刊/23歳)

「たまにね、地元の茨城から両親が来てくれるんです。ごはんを作ってくれたり洗濯してくれたり。お父さんはいつもお母さんをからかって、そのやりとりを見ていても楽しいし、便乗して参加しても楽しいんですよ(笑)。そうして家族3人の時間を過ごして、『じゃあね』って2人が帰るそのときに、『ありがたいなぁ』って思う感じ…つながってるなって。これがね、言葉にならない幸せなとき。いい時間なんです」(25ans 2014年3月号/23歳)

 

そして、近年は、自分がいつか家族を持つことについてもさりげなく触れている。

 

三浦 「もしかして、自分の子どもが生まれた時に、その子が成長していく過程で何か導けるような、その子を傷つけないようなことを言えたらいいなと思うんです」(婦人公論 2015年5月12日号/25歳)

「もしかして30代になったら、家族が増えたりすることもあるかもしれないじゃないですか。だから20代のうちにいっぱい悩んで、いっぱい立ち止まって、いっぱい失敗できたことは悪くなかったなって思うんです」(MORE 2019年10月号/29歳)

 

過去に恋愛や結婚についてたずねられたとき、結婚をしたら子どもがほしいと答えていた三浦さん。それは本心なのだろう。

一方で結婚については、複数の媒体で昨年、「今はする気がない」といった趣旨の発言をしていた。週刊朝日の作家の林真理子さんとの対談でも「(結婚は)しないかもしれませんよ」とサラリ。ほかにもこんな発言をしている。

 

三浦 「結婚ですか(笑)。確かに、20代も後半になると、結婚に関して聞かれることが多くなりました。実際、20代前半の頃は、『30歳までにはきっと結婚するでしょう』と言っていました。でも、今は全然結婚したくないんです。(笑) 

40歳くらいまでにできればいい。そういうふうに気持ちが変化したのも、自分の中に俳優としてやるべきこと、やりたいことが明確に見えてきたからだと思います」(婦人公論2019年10月8日号/29歳)

 
 家族への憧れと、結婚、そして仕事。30歳目前にして複雑な胸の内がみてとれた。

 

【俳優という仕事について】

 

 7歳で子役としてデビュー。13歳でNHK大河ドラマ「武蔵」に出演し、その後も一度もキャリアが途切れることなく、映画や俳優、舞台と活躍の場を徐々に広げてきた。

 10代のころは「自分の色」を探し求めて模索していたように思える。

 

三浦 「とにかくずっと俳優を続けて、田村正和さんのように、誰にもできないような演技、その人だけにしかない輝きを演じられるようになりたいです」(週刊女性2005年5月24日号/15歳)

「自分だけの色を出せるような俳優さんになれたらいいなって思います」(ピクトアップ2006年6月号/16歳)

 

 2007年に映画「恋空」に出演。映画はヒットし、翌年、日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞した。07年は映画「奈緒子」にも出演した。旬の俳優として注目を浴びたが、本人の発言からは、何者にもなりきれていない、10代後半の迷いや葛藤がのぞく。

 

三浦 「5年後どうなっているとか、目標とする人とかはわからないです。興味のあることは、片っ端からチャレンジして、『自分らしい』何かを見つけたいですね」(JJ  2008年3月号/17歳)

 

 同時に、2本の映画の出演によって俳優としての手ごたえをつかんでいたようだ。インタビューでは俳優という職業について前向きな言葉を繰り返し述べていた。

 

三浦 「本番前の役の気持ちの作り方や集中の仕方、そしてひとつの作品を作り上げる喜びを、これまで以上に深く見い出せるようになったという手応えは感じています」(anan  2008年2月13日号/17歳)

「ひとつの作品を終え、それが上映される頃になって、作品を通じて、俳優・三浦春馬が今まで味わったことのない感情を味わえていたことに気づくんです。自分を見つめ直せる職業なんだなって、ここ1、2年で気づきました」(MORE 2008年9月号/18歳)

 

その後、ドラマ「ごくせん」シリーズやドラマ「ブラッティ・マンデイ」、映画「君に届け」など立て続けに話題作に出演。20歳になったときには、等身大の「ありのままの自分」を受け入れる余裕もみえてきた。

 

三浦 「多分、強くなったと思うんです。(中略)最近、自分の進んでいる道や、そのイメージが分かってきたんです。これからどう進めていいのかも。(中略)いまはお芝居だけじゃなくて、全部含めてこの世界を楽しめていると思います」(ピクトアップ2010年10月号/20歳)

「ここ最近、10代の頃には気づけなかったことに、気づきはじめてる気がするんですよ、劇的に。もっといろんなものを見たいし、気づきたい。もっともっと、いい景色も見たいですしね。そのために、20代もありのままの自分で、一生懸命やっていけたらって思います」(With 2010年10月号/20歳)

 
 20歳を超えると、役作りにも変化がみられてきた。本人曰く、子役のころから「どんな役も台本を読み込む」ことはしてきた。さらに、原作となる小説や漫画を読み、世界観を理解するように。これは映画やドラマに出演するならば当たり前のことのように思えるが、実はそうでもない。作品の原作者の作家と出演者の対談で、原作を全く読んでいなかったために、会話が続かず、早めに切り上げざるをえなかったという話は珍しくない。ところが三浦さんの場合、出演作の原作はもちろん、それ以外でもその作家の作品も読み、オススメの書籍として雑誌で紹介することもあった。

 また、2011年6月公開の映画「東京公園」のカメラマンの志望の役では、普段から常にカメラを持ち歩いていたという。

 

三浦 「プロデューサーからお借りした一眼レフをずっと持ち歩いていました。光司(役)にとってカメラが一番近くにあるっていう感覚は、少しでも染みつけせておかないと演技に出てこないんじゃないかと思って」(non・no 2011 年8月号/21歳)

 

 作品への理解を深め、演じる役の人物像を膨らませていく。例えば、篠原涼子と共演したドラマ「ラスト・シンデレラ」。いわゆるラブコメディーだが、三浦さんが語ったのは別の側面だ。

 

三浦 「コメディーとはいっても、おもしろいだけではなく、人の繊細な部分が丁寧に描かれている作品。そういう面も、大事に演じていきたいなと思っています」(non・no 2013年6月号/23歳)

 

また、映画「進撃の巨人 ATTACK ON TITAN」でも、エンタメ作品ながらテーマを掘り下げて解釈していた。

 

三浦 「僕の解釈で話させてもらうと、映画化するにあたって、樋口真嗣監督は普遍性を感じてほしかったんじゃないかとなと思ったんです。つまり、エレンは孤独で、漠然と現状に納得がいかずにもがいているんだけど、大きな目標や、自分が打ち込めるものが見つかっていない。だから仕事も辞めてしまうし、何かに当たる……。これって、誰もが経験をしたことがありますよね。(中略)だから、自分に近い視点で見てもらえると思うんです」(AERA 2015年8月3日号/25歳)
 「だれでも今の環境から逃げたいって思ったことがあるんじゃないかな。過去の経験になぞらえて観ていただいたら、また違う楽しみ方があると思います」(ESSE 2015年8月号/25歳)

 

三浦さんの作品に対する姿勢と、役作りへの努力、そして役柄への共感は、繊細な演技が必要とされる難しい役どころでも生きた。ドラマ「僕のいた時間」では、筋萎縮性側索硬化症(ALS)を発症する大学生の役を演じた。

 

三浦 「死が迫りくるとき、人はどういう感情を抱き、どういう希望を見出すのか。みんなの意見も受け入れながら、自分でとことん考え抜きたい。そして少しずつ変化してゆく気持ちをていねいに演じていきたいですね」(25ans 2014年3月号/23歳)

 

振り返れば、ドラァククイーンを演じたミュージカル「キンキーブーツ」(2016年4月/26歳)、ドストエフスキーの小説を舞台化した「罪と罰」(2019年1月/28歳)、ドラマ「太陽の子」(2020年8月/30歳)など複雑な境遇に置かれた人物を好演してきた。どれもそれなりの準備が必要だろう。

 こうしたドラマや舞台の準備に加え、語学の学習も続け、短期間だがイギリスに語学留学も果たしたというから、驚きだ。

 

三浦 「怠け者の部類に入るほうなので、そうやって時間を埋めておかないと駄目なんです」(週刊文春2018年12月13日号/28歳)

 

 インタビューを読む限り、与えられた仕事に真摯に取り組んできたことは確か。ただ、その俳優人生の核となったものは、ギラギラした野心というよりは、いい演技、理想の演技の追求だったように思える。

 順風満帆にみえた三浦さんの俳優人生。三浦さん自身は30歳の節目をどのようにとらえていたのだろうか。立ち止まる時間はあったのだろうか。次回は、友人をテーマに振り返る。(AERAdot.編集部)




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